球春の訪れを告げるセンバツ高校野球が18日に開幕した。今大会からアルプススタンドではマスクなしでの声出し応援が解禁。開会式では全選手がそろって入場行進を行うなど。いつもの甲子園の風景が戻ってきた。
その開会式でひときわ大きな声援を受けていたのが慶応(神奈川)の清原勝児(2年)だ。NPBで通算5位となる525本塁打をマークした清原和博さんの次男として、父がPL学園(大阪)時代に活躍した聖地の土を初めて踏んだ。4日の練習試合解禁以降、すでに3本塁打をマーク。史上3例目となる父子での甲子園本塁打へ向け、好調をキープしたまま、21日の第3試合に予定されている仙台育英(宮城)戦に臨む。
和博さんは計5度甲子園に出場し、個人歴代1位の13本塁打を放った。2位の6本塁打(PL学園・桑田真澄さん、上宮・元木大介さん、広陵・中村奨成)に7本差と、圧倒的な大差をつけている。
初本塁打は1年生時の83年夏決勝、横浜商(神奈川)戦で、のちに中日入りする三浦将明さんのスライダーを右翼ラッキーゾーンへ運んだ。2年夏の1回戦、享栄(愛知)戦では1試合3本塁打を放つなど、怪物の名をほしいままにした。
2年センバツでは1回戦の砂川北戦、2回戦の京都西戦では2本塁打と計3本塁打。3年センバツでも1回戦の浜松商戦で一発を放ったが、春の頂点には縁がなく、2年時は決勝で岩倉(東東京)に敗れ準優勝。3年時は準決勝の伊野商(高知)戦で渡辺智男さんの前に3三振を喫する屈辱を味わった。
その悔しさをバネに迎えた3年夏。準々決勝の高知商戦で中山裕章さんの直球を左翼席上段まで運んだ。その飛距離と衝撃から「甲子園歴代最高の本塁打」と評され、金属バットがへこんでいたことは語り草だ。
この一発で調子を取り戻した清原さんは続く準決勝の甲西(滋賀)戦で2本塁打。決勝の宇部商(山口)戦では4回に左翼ラッキーゾーン、そして6回にはバックスクリーン左へ特大の放物線を描き、実況から「甲子園は清原にあるのか!」とまで言わしめた。
あの夏から38年。ラッキーゾーンはとうの昔に撤去され、2024年センバツからは飛距離が出ないとされる新基準の金属バットの導入が決定している。和博さんの13本塁打はもはや更新不可能な“アンタッチャブル・レコード”として、聖地にその記憶をとどめ続けるだろう。ただ、今は純粋に「清原」の名が、再び甲子園でコールされるのを楽しみに待つとしよう。