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大阪桐蔭、亜大で日本一を経験した水本弦さん(本人提供)

■水本弦さんが言われ続けた「相手が何を求めているのかをちゃんと考えなさい」

 名将からの教えは、今でも心に焼き付いている。2012年に大阪桐蔭で春夏甲子園連覇、亜大でも5度のリーグ優勝と2度の日本一に輝いた水本弦さんは、高校、大学ともに主将としてチームを引っ張った。大阪桐蔭時代は同学年に藤浪晋太郎投手(マリナーズ3A)や澤田圭佑投手(ロッテ)、一学年下に森友哉捕手(オリックス)、亜大でも同学年に木浪聖也(阪神)ら、強烈な個性を放つメンバーをまとめる役割を果たした。

「高校は自分が一番上手いと思って入ってきているので、プライドが高い選手が多かったです。そこをまとめる難しさはありましたが、あまり縛りすぎないというところは特に意識していました。大学は練習が始まる時間が学年や学部によって違うので、土日など全体練習の時にいかにまとまりを持ってやれるかというところに気をかけました。常々ミーティングを行うようにして、全体でコミュニケーションが取れる機会を増やしました」

 そして水本さんが人として成長するきっかけを与えてくれたのが、大阪桐蔭の西谷浩一監督と、亜大・生田勉前監督だ。2人の恩師からは「相手が何を求めているのかをちゃんと考えなさい」と事ある度に言われ続けてきた。

「野球で言えば、相手投手は打者に何をされたら嫌がるのかとか、逆に早打ちをしたら喜ぶとか、そういうことを見るようにしなさいと言われていました」

 特に生田前監督からは「生きていく術を教えてもらった」という。接待時には、相手のタバコの銘柄や、よく飲んでいるお酒などを逐一チェック。お礼をする際、好みに合わせた返礼品を渡すことに役立てていた。

「そういう観察力を磨きなさいと言われていました。西谷監督とはタイプが違いますが、人付き合いも含めて凄く勉強になりました」

 水本さんはその後、東邦ガスで2021年まで野球を続け、現役を退いた。社業を経験して2023年に退社後、名古屋市で「株式会社Ring Match」を設立。野球経験者に特化した就職・転職支援を行っている。

「野球でも癖や傾向は必ず出ます。仕事も同じで、お客さんが何を求めているかとか、そこにアプローチしていくということは一緒だと思っています」

 恩師に恵まれた野球人生があったからこそ、今がある。水本さんは感謝を胸に、全力で仕事に取り組んでいる。

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