日大三(西東京)で夏の甲子園2度の全国制覇を果たした小倉全由監督(65)が3月31日に定年を迎える。
関東第一(東東京)での12年間で4度(センバツ2度、夏2度)、日大三での26年間で18度(センバツ7度、夏11度)甲子園に出場。通算37勝(20敗)を挙げた名伯楽がついにユニホームを脱ぐ。
2001年夏。日大三で強力打線を引っさげ、自身初の全国制覇を達成した。前年の2000年夏には智弁和歌山が当時の大会記録となるチーム打率.413と圧倒的な猛打で頂点へと登り詰めたが、わずか1年後に.427でその記録を塗り替えた。
2011年夏にはエースの吉永健太朗や高山俊、横尾俊建らタレントを揃え、決勝の光星学院戦(青森)では11-0と圧勝。6試合連続2桁安打で自身2度目となる夏の日本一に花を添えた。
打撃がチームカラーのように思えるが、小倉監督は「強打だけだと思われたくない」とし、守備の強化にも力を入れる。雨の日などは、室内練習場で内野手や外野手のゴロ捕球を徹底。内野手の捕球体勢は自らがお手本を見せるなど、その情熱が衰えることはない。
ただ、近年は「ノックが思うように打てなくなった。選手に申し訳なくて」と話すなど、ジレンマも抱え続けながら指導を行ってきた。昨秋から数度、学校側に退任の以降を伝え、慰留され続けてきた。しかし、長くタッグを組んできた三木有造部長(48)を後任に据え、自らは現場から離れる決断を下した。
31日には町田市内の日大三グラウンドで帝京(東東京)と練習試合を行う。関東第一時代から帝京の前田三夫監督(73、現名誉監督)を目標とし、幾度となくしのぎを削ってきた。その背中を追い続けてきたライバル校との戦いを最後に、静かにタクトを置く。
勇退後は選手と寝食を共にした合宿所を離れ、敏子夫人の待つ千葉県九十九里の自宅に戻る。「今後の小倉がどうなるか楽しみです」と、野球から離れた“第2の人生”に思いをはせた。
ただ、何人ものプロ野球選手を輩出した名監督を他が放っておくはずもない。しばらく羽を休めた後、小倉監督がどのような形で野球に携わっていくのか。楽しみでならない。