■宮之原健さんが今年4月にベースボール5のチーム「Spirit Bonds」立ち上げ
硬式球から二回りほど小さな専用のゴムボールに握り替え、充実の時を過ごしている。宮之原健(たける)さんは、今年4月、野球を原型として考案されたスポーツ「Baseball5(ベースボール5)」のチーム「Spirit Bonds(スピリットボンズ)」を立ち上げた。チームスローガンは「Baseball5を通じて人生をより豊かに」「共に成長し合う環境づくり」。老若男女を問わず、誰もが笑顔で楽しむ姿は、野球を始めた子どもの頃の原風景にどこか似ている。
「ようやくメンバーが10人揃いました。大会があれば勝ちに行くという中で、イベントを通じて、みんなが笑顔になる雰囲気、空間を作ることを意識しています。このスポーツは小さい子から年齢を重ねた方々まで、幅広い世代の生活を豊かにしながら、健康増進もできるというところを感じてもらいたいなと思っています」
宮之原さんには忘れられない原風景がある。小3の頃に神宮球場で観戦したヤクルト戦。岩村明憲さん(現福島レッドホープス監督)がスタンドに投げ入れたボールを偶然キャッチしたことが、その後の人生の道標となった。岩村さんは、その試合で大活躍。あの時の大歓声や、乾いた打球音は、今でも耳に残っている。
「小3の私の心に響くものがありまして、こんなにも感動を与えるものがあるんだと思って、野球をやる決断をしました」
この話には後日談がある。宮之原さんは東京学芸大から独立リーグの合同トライアウトを受験。ドラフト会議で2位指名を受けた福島ホープス(当時)の監督が岩村さんだった。
「岩村さんから指名していただき、ドラフト指名後にお会いする機会があったので、当時の話をしたら、凄く喜んでくれました。憧れていた方の下で2年間できて、自分が生き残るために何が必要かということを学ばせていただきました」
■独立リーグを引退後に競技開始…1年足らずで日本代表、W杯準優勝
福島ホープス、そして埼玉武蔵ヒートベアーズでプロとして生き抜いた6年間は、宮之原さんにとってかけがえのない宝物だ。
「プロとしてお金をもらっている以上は、来ているファンや、応援している方がどうやったら喜んでもらえるかを常に考えていました。プレーで結果を出すことはもちろんですけど、地域や企業などに行って、イベントを考えたり、ファンの方を巻き込みながら色んなことをやりました。NPBには行けなかったですけど、それを超えるぐらい多くの方と出会い、野球選手としてどうやったら喜んでもらえるかを考え、学ぶことができた6年間でした」
2021年限りで現役を引退後は、若い世代を中心に注目されているベースボール5のフィールドを選択した。投手はおらず、グラブやバットも必要ない。素手でボールを打ち、素手で捕って投げる。性別や国境を越え、誰もが純粋に楽しめるスポーツに、心を惹かれた。それは、あの時の神宮で感じた高揚感に、どこか通じるものがあった。
宮之原さんは28歳で「5STARs」に加入し、ベースボール5を始めると、競技開始から1年足らずで日本代表となり、「WBSC Baseball5ワールドカップ2022」に出場。チームの準優勝に貢献し、個人ではソーシャルMVP「High5 Award」を受賞するまでの選手へと成長した。
ただ、大会後に、断裂した右膝前十字靱帯の再建手術を行った影響で、昨年は満足なプレーができず。完治に1年半を要し、「ようやく最近治りました」と右足をさすった。
31歳となった今、もう一度、感動を与えられる選手になるため、都内の小学校で教職員として勤務しながら、新チームで研鑽の日々を送っている。
「アスリートとしても、一教育者としても、チームの運営代表者としても、目標にしてもらえるような存在になれるように、日々自分自身には厳しくありたいなと思っています。やっと100%のプレーができるので、ここから色々なことを上げていきながら、またもう一度ジャパンのユニホームを着られるように頑張っていきたいです」
宮野原さんの夢の果ては、まだ先にある。ベースボール5で多くの人を笑顔にしていきながら、歩みを進めていく。