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立大は今季7戦目にして初勝利を挙げた

 東京六大学リーグ第5週第2日は8日、2回戦の2試合が神宮球場で行われ、1試合目は立大が東大を相手に2―0で競り勝ち、今季初勝利を挙げた。先発右腕の沖政宗(3年)が3安打で初の完封勝利。6回まで完全投球を見せ、詰めかけた観衆もどよめき始めたが、7回、先頭打者にレフト前へ運ばれ、東京六大学史上4人目の快挙達成とはならなかった。

 ちょうどあの時も東大戦だった。2000年秋季リーグ戦が行われていた10月22日、立大-東大2回戦で、立大の上重聡投手(当時2年、現日本テレビアナウンサー)が、1964年春の渡邊泰輔(慶大)以来、実に36年ぶり2人目となる完全試合をやってのけた。

 立大に優勝の可能性はなくなり、4年生にとっては勝てば最終戦となる晴れ舞台。プロや社会人に進み、野球を続ける先輩もいれば、競技を離れ、一般企業に就職が決まっている先輩もいた。言わば「引退試合」の意味合いも強く、普段はベンチ入りしない4年生も、勝ち試合ならば出場を〝約束〟されていた。

 当時立大3年生だった私は「5番・三塁」でスタメン出場した。試合前の関心事は、私事で恐縮なのだが「初めて規定打席に到達できるか」だった。前日まで32打数11安打、打率.343と、自分としては出来過ぎといえる成績を残してはいたが、規定打席にあと1打席足りていなかった。

 スタメン発表の際、自分の名前が呼ばれたときはホッとした。スタメンならば、規定打席到達はクリアできるだろう。そして初回、満塁で打席が回り、センター前へ2点タイムリーを放った。初回だけで6得点の猛攻。そして自身は規定打席に到達し、その時点で33打数12安打、打率.367まで上昇した。

 次に試合を控える法大の後藤武敏(当時2年)が39打数16安打、打率.410。もし仮に自分が4打数4安打で試合を終えれば、打率.417で、もしかしたら首位打者も夢ではないかも…。序盤に2度飛んできた三塁ゴロも気分よく裁き、あとは打席に集中するのみ(今となっては自分勝手で申し訳ない…)だった。

 ただ、試合が進むに連れ、球場の雰囲気が変わってきた。上重はまだヒットも打たれていなければ、ランナーも出していない。そうすると、もはや打席よりも、守備に全力を注ぎ込むしかなかった。私は高校まで外野を守り、大学から三塁に挑戦。今でもあの頃の送球エラーの夢をたまにみるほどの〝ド素人〟だった。

 ここでエラーしたら何を言われるか分からない。正直、その後の打席は覚えておらず、3打席凡退。明確に覚えているのは、9回2死、最後の左打者が空振り三振に終わった時、完全試合を喜ぶより、「飛んでこなくてよかった…」と安堵したことだろうか。

 8回を投げ終えた上重は、4年生を登板させるべく、齋藤章児監督(当時)に降板を直訴していたが、一喝されていた。それはそうだろう。ノーヒットノーランとは訳が違う。何せ、1925年創設の東京六大学リーグの中で、当時まだ1人しか達成していなかった記録なのだから。

 沖投手の投球を見ていて、あの頃を思い出した。私は結局、36打数12安打、打率.333で打撃ランク3位。首位打者は夢に終わった。ただ、こうして上重の完全試合をバックから援護できたのも、1年生の頃に三塁への転向を進めてくれた手島晴幸監督と、下手くそだった私を辛抱強く使い続けてくれた齋藤監督のお陰。当時はいろいろと衝突することもあったが、今となっては感謝しかない。

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