大阪桐蔭と履正社。言わずと知れた大阪の2強だ。かつて隆盛を誇ったPL学園が2016年夏限りで休部。そのPLが2009年に春夏甲子園に出場して以降、この2校のどちらかが必ず1年に1回は聖地の土を踏んできた。
ただ、履正社を長年率いてきた岡田龍生監督が2022年4月から母校である東洋大姫路へ異動。昨年センバツには大阪桐蔭と金光大阪が出場するなど、勢力図に変化が見られるかと思われたが、昨春、昨夏、そして新チームとなった昨秋の大阪府大会決勝はやはり2強の黄金カードだった。結果は大阪桐蔭が履正社を相手に3連勝。王者の貫禄を見せた。
もはや大阪名物となった「トーイン」VS「リセイ」。切っても切れないライバル同士の初顔合わせは1997年、夏の府大会準決勝だった。履正社の細身のエース小川仁が大阪桐蔭打線を1点に抑え2-1で勝利。決勝でも関大一を振り切り、初の甲子園出場を決めた。
1999年夏の2回戦でも履正社が13-12で勝利した。しかしここから大阪桐蔭が真価を発揮する。2005年夏準決勝。「浪速の四天王」のうち、辻内崇伸、平田良介と岡田貴弘の3人が相まみえた一戦で大阪桐蔭が11-3と履正社を圧倒。この時、大阪桐蔭の1年生だった中田翔は、2006年夏、2007年夏も履正社と対戦し、全て返り討ちにした。
翌2008年夏決勝。浅村栄斗を擁し、2-0で2年ぶり夏の甲子園を決めた大阪桐蔭は、1991年の初出場初優勝以来、17年ぶりに深紅の大優勝旗を手にすることになる。2011年準決勝で5-1、翌2012年決勝でも10-8でライバルを下し4年ぶり優勝。甲子園で春夏連覇を達成するなど、全国にその名を知らしめた。
履正社が大阪桐蔭に一矢報いたのは、翌2013年秋の4回戦だ。13-1のワンサイドゲームで5回コールド勝ち。翌2014年のセンバツで準優勝を果たしたが、夏に立ちはだかったのはやはり大阪桐蔭だった。準決勝で2-6敗退。大阪桐蔭はスター選手こそ不在だったが、総合力で甲子園を勝ち上がり、2年ぶり日本一を果たすことになる。
翌2015年。野球の神様はこの2強をとうとう初戦で対戦させてしまう。舞洲スタジアムは入場制限が出され、周辺の道路は大渋滞。ここでも大阪桐蔭が5-1で勝利したが、「事実上の決勝戦」の消耗は想像以上だった。準々決勝で大阪偕星学園に2-3で敗退。大会史上初となる4連覇は夢と消えた。
「真の頂上決戦」で戦ったこともある。2017年センバツ。大阪勢同士初の決勝でも大阪桐蔭は強かった。8-3で5年ぶり2度目の春優勝。夏の大阪大会準決勝でも大阪桐蔭が8-4で履正社を返り討ちにした。
翌2018年夏、北大阪大会準決勝。履正社は奇襲に打って出た。野手の濱内太陽主将を公式戦初登板初先発させたのである。そして9回2死、あと1球で勝利のところまで王者を追いつめたが、惜しくも逆転負け。大阪桐蔭は根尾昴、藤原恭大らの活躍で史上初となる2度目の甲子園春夏連覇を果たすことになる。
しかし翌2019年夏。履正社は悪夢から這い上がった。準々決勝で敗退した大阪桐蔭と対戦することなく、2016年以来となる夏の甲子園切符をつかむと、強力打線を武器に史上初となる盗塁ゼロで悲願の頂点に立った。岡田監督は優勝インタビューで「子供らが本当によくやってくれたなという、その気持ちでいっぱいです」と涙ながらに話した姿が印象的だった。
翌2020年。新型コロナウイルスの影響で甲子園は春夏ともに中止となったが、大阪府の独自大会準決勝で、履正社はもう一つの悲願を成就させる。9-3。夏に限れば、21年ぶりに大阪桐蔭に勝ったのである。前年よりもさらに厚みを増した打線を、夏連覇が懸かった甲子園で見られなかったのが悔やまれる。
履正社は岡田監督の後を受け、OBである多田晃部長が監督に就任。昨秋近畿大会でベスト8に進出し、自身初の甲子園出場を有力としている。
新たな局面を迎えた2強時代。これからも高校野球ファンを虜にする熱き戦いは続く。