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「下窪勲製茶」で働く下窪陽介さん
「下窪勲製茶」で働く下窪陽介さん

■1996年センバツ全5試合完投勝利 下窪陽介さんが151キロ右腕・井上剣也投手に期待すること

 第154回九州地区高等学校野球大会は26日、佐賀市のさがみどりの森球場で準決勝2試合が行われる。プロ注目右腕・井上剣也投手(3年)を擁する鹿児島実は、第2試合目に明豊(大分)と対戦する。

井上は23日、東明館(佐賀)との1回戦に先発。NPB全12球団、約20人のスカウトの前で、最速151キロの直球と切れ味鋭いカーブ、スライダーを武器に3安打2失点、7三振を奪い完投勝利。6四球と制球に苦しむも、力のある直球で押し込んだ。強力打線の明豊を相手に、その球威がどこまで通用するか、注目が集まる。

 鹿児島実で好投手と言えば、1996年センバツで鹿児島県唯一の甲子園優勝投手に輝いた下窪陽介さんが思い浮かぶ。下窪さんは、140キロを超える直球と、宝刀のスライダーを武器に全5試合完投、553球を投げ抜き、春の頂点に輝いた。

 ただ、その代償はあまりにも大きかった。肩肘の疲労もあり、ほぼぶっつけ本番で臨んだ夏の鹿児島大会。決勝の鹿児島商戦で18-0と圧倒的な強さで春夏連続の甲子園出場を果たすも、試合後、右肩に違和感を感じた。翌日には、右手が肩から上まで上がらない状態まで悪化。精密検査の結果、右肩の剥離骨折が発覚。痛み止めを打ちながら甲子園のマウンドに上がリ続けた。

 もちろん本調子であるはずがない。直球走らず、スライダーも本来の切れとはほど遠い。それでも1回戦の富山商、2回戦の市船橋(千葉)、3回戦の倉敷工(岡山)を退け、準々決勝まで勝ち上がった。

 そして迎えた松山商(愛媛)戦。ここで誤算が起こる。大体の試合開始時間を想定して痛み止めを打つのだが、前の3試合が長引き、プレーボールとなった16時20分には、その効果はほぼ切れていた。

「(右肩は)痛かったね。途中からは握力がなくなって、セットポジションの時に右手からボールを落としてボークをとられたよ」

 そんな状態の中でも、結果的にその夏の王者まで登り詰めた松山商を5点に抑えたが、打線の援護は9回の2点のみに終わり、2-5で敗退した。もし右肩が万全の状態だったら、春夏連覇、そして投手としてプロ入りの可能性も十分あっただろう。

 日大進学後、右肩のリハビリが続き、3年春からは打者へと転向。日本通運を経て、2006年ドラフトで横浜(現DeNA)へと入団するが、打者として花開くことはなく、2010年オフに戦力外通告を受け現役引退。現在は家業の「下窪勲製茶」で営業マンとして勤務している。

「(甲子園で投げ続けたことは)自分の判断なので、悔いはない。でも、投手だったらプロでもっとやれたんじゃないかという思いはあったね」

 そう振り返る下窪さん。自身が果たすことのできなかった夏の全国制覇、そして投手としてプロ入りの夢を、井上に託していた。

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