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昨年4月から母校の戸畑高を率いる中村竜也監督

■前年夏優勝の駒大苫小牧と2005年選抜で対戦…戸畑高・中村竜也監督「あんなスライダー初めて」

 憧れだった戸畑高に入学し、甲子園に出場した選手は、監督となって母校に帰ってきた。昨年4月から監督に就任した中村竜也監督は、あっという間に過ぎ去った1年半を振り返る。

「監督が代わるというのは、選手たちにとっても結構大きな出来事だと思うので、まずは寄り添いながらのスタートでした。前の監督さんがやっていた野球を踏襲しつつも、自分のやりたい野球と照らし合わせながら、試行錯誤した1年半でした」

 戸畑高は甲子園に春4回、夏4回の出場を誇る福岡の古豪公立校だ。1957年(昭和32年)夏に甲子園初出場を飾ると、高知高、坂出商(香川)と四国の強豪を破り、準決勝まで進出。1959年(昭和34年)には春夏連続出場を果たすなど、県下はおろか、全国にその名をとどろかせた。

 中村さんは小6時、2000年(平成12年)選抜に出場した戸畑高を甲子園のスタンドから応援。後にドラフト1位で広島に入団した横松寿一投手がマウンドで躍動していた。

「私は当時、ソフトボールをやっていて、監督さんが『甲子園に試合を見に行こう』と言ってくれて、みんなで四日市工(三重)との試合を観戦にいきました。自分の家の近くの県立高が甲子園に出られるんだと思って、絶対に戸畑へ行きたいと思っていました」

 そして2003年4月、念願がかない、戸畑高の門を叩いた。2年秋には主将、そしてリードオフマンとしてチームを牽引し、九州大会に進出。初戦は鹿児島工を3対2、準々決勝も佐賀西を4対3と1点差で下して4強入りし、2005年選抜出場切符を手に入れた。戸畑高が甲子園に出場するのは、スタンドから声援を送った2000年選抜以来だった。

「憧れだった戸畑に入って、そこで甲子園に出るという夢もかないました。ふわふわしていたわけではないですけど、凄く楽しめましたね」

 夢にまで見た舞台で迎えた初戦は、開会式直後の第1試合目のクジを引いた。しかも対戦相手は、前年夏の甲子園を北海道勢として初めて制した駒大苫小牧(南北海道)だった。

「駒大苫小牧さんは前年優勝していて、しかも開幕ゲームで、みんなから『凄いところを引いたね』みたいな感じで言われました(笑)。学校でも放送が流れたみたいです」

■監督は前年神宮大会で正捕手だった田中の先発をズバリ的中「疑っていました(笑)」

 駒大苫小牧には、松橋拓也、吉岡俊輔という2枚看板がいた。ともに右腕で、松橋は140キロ後半の直球、吉岡は投球の組み立てと制球力を武器としており、ナインはこの2人のどちらかが先発でくると予想していた。しかし、牧村浩二監督(当時)の見立ては違っていたという。

「牧村監督さんが当時の駒大苫小牧の映像やデータも全部入手されていて、そこで『このキャッチャーの子が先発でくる』と公言したんですよ。自分たちは『いやいや、そんなわけないやん』といった感じで疑っていました(笑)」

 メンバー交換時に駒大苫小牧のスタメンを見て仰天した。牧村監督の予想が、ピタリと的中していたからだ。

 先発は、背番号10の田中将大。神宮大会で背番号2をつけ、準々決勝の羽黒(山形)戦で先発していた新2年生が、開幕のマウンドに上がっていた。

 初回表、1番打者として打席に入ると、「初めての体感」を味わったという。1ストライクからの2球目。低めに外れたボール球は、140キロを計測していた。

「今でこそ高校生が140キロや150キロを投げますが、当時はなかなかそんな投手はいませんでした。福岡大会や九州大会を戦っても140キロを超える投手と対戦する機会はなかったので、やっぱり凄かったですね。あんなスライダーも初めて見ました」

 それでも、2ボール1ストライクからの4球目。外角高めに浮いた勝負球の128キロスライダーを、右翼線へと運んだ。田中の伝説の始まりとなる甲子園デビュー戦。最初の打者として見事に安打を放った。

「振り遅れがポンと当たってくれました(笑)。本当にラッキーでしたね」

 幸先のいいスタートを切ったが、やはり田中は凄かった。中村さんを含め、先頭打者が4度出塁するも、得点は6回の犠飛のみ。ことごとく勝負どころを封じられ、1対2で惜しくも敗れた。

「駒苫との試合前に速い投手の対策で、クリーンアップでも長く持っていたバットを短く持ったり、ノーステップで打ったりと、そういう工夫をせんといかんね、とみんなで話し合ったことを覚えています。そういうことは、今の野球でも絶対に通じるところがあると思っています」

■古豪復活へ「投手も含めてバランスの取れたチームを作っていきたい」

 中村さんは神奈川大を卒業後、教諭を目指して地元へ帰り、築城特別支援学校(築上町)、育徳館高(みやこ町)、若松高(北九州市)に赴任した後、2023年春から母校の監督に就任。2年目の今夏は、50m走5秒9の俊足を誇るプロ注目の萩原望安(のあ)内野手(3年)らを擁し、4回戦まで駒を進めたが、沖学園に2対14で敗戦。私学の分厚い壁に跳ね返された。

「甲子園に行く、甲子園で勝つためには、私学に勝たないといけないので、今は『絶対に私学になんか負けんぞ!』と指導させてもらっています。守備だけとか打撃だけとかではなく、投手も含めてバランスの取れたチームを作っていきたいなと思っています」

 戸畑高は中村さんが出場した2005年春以来、甲子園から遠ざかっている。戸畑高に入学する夢も、甲子園に出場する夢もかなえた。次なる夢は、監督として後輩たちと甲子園の土を踏むこと。必ずや激戦区の福岡を勝ち抜き、古豪復活の凱歌を揚げる。

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