近年の高校野球において頭一つ抜けているチームといえば大阪桐蔭だろう。甲子園に春夏通算25度出場し、大阪においては通算勝利数でPL学園の96勝(30敗)に次ぐ72勝(15敗)をマーク。通算優勝回数ではPLの7度を抜いて9度と、恐るべき数字を叩き出している。
浅村栄斗が圧倒的パフォーマンスを発揮した2008年、藤浪晋太郎-森友哉の凸凹バッテリーに沸いた2012年、根尾昂、藤原恭大らスター揃いの2018年…。個性豊かなメンバーが揃った年は数多くあるが、今回は初出場初優勝となった1991年夏の甲子園でのメンバーや試合を振り返ってみたい。
1980年代はPL学園の時代だった。清原和博や桑田真澄、そして2学年後輩の立浪和義や片岡篤史らが甲子園を縦横無尽に駆け回り、その10年だけで6度の優勝を果たすなど圧巻の強さを発揮した。そのPLに代わり、1991年に彗星のごとく出現したのが大阪桐蔭だ。
同年春のセンバツに創部4年目で甲子園初出場を果たすと、1回戦の仙台育英(宮城)戦でエースの和田友貴彦がいきなりノーヒットノーランを達成。大阪桐蔭の記念すべき甲子園初白星は、快挙から生まれた。
続く2回戦の箕島(和歌山)戦も6-4で勝利。準々決勝の松商学園(長野)戦で相手エースの上田佳範に完封を許し0-3と敗れはしたが、「TOIN」のユニホームは、聖地に強烈な足跡を残した。
マークがきつくなる夏の大阪府大会ではPLと対戦することなく、決勝の近大付に8―4と競り勝ち春夏連続出場。甲子園では2回戦の樹徳(群馬)戦で4番の萩原誠が本塁打を放つなど、11-3と大勝し、春に続き初戦突破を果たした。
3回戦。秋田戦の主役は間違いなく澤村通だった。0-3とリードされた7回に反撃の口火を切る左中間二塁打。2点を追う9回2死ではフルカウントから三塁打を放ち、土壇場で同点劇を演出すると、延長11回にはサイクル安打となる決勝ソロ。4-3で逆転勝ちし勢いに乗った。
準々決勝の帝京(東東京)戦は11-2、準決勝では2年生の松井秀喜擁する星稜(石川)に7-1と自慢の強力打線が爆発。沖縄水産とともに決勝に進出した
沖縄水産は昨夏準優勝。エース大野倫らの活躍もあって、沖縄勢初の全国制覇の期待を一身に背負っていた。そんな中で行われた一戦は、地元であるはずの大阪桐蔭が「完全アウェー」かのような異様なムードだった。
しかし、そんな重苦しい雰囲気を振り払ったのは主砲の萩原だった。初回、大野から右翼へ先制2ラン。2回に1点、3回に5点を失い逆転されたが、大会前に右肘を壊し、なおも4連投の大野にもう余力は残っていなかった。手負いの相手エースに16安打を浴びせ、13-7で初出場初優勝。2000年代から始まる大阪桐蔭伝説の下地を作った大会でもあった。
あれから32年。ラッキーゾーンはなくなり、投手は球数制限、今春センバツからタイブレークは延長10回から導入されるなど、甲子園も大きく様変わりしてきた。それでも大阪桐蔭の強さは変わらない。センバツ連覇をかけた球春は、もう間もなくやってくる。